反論して不利益を被るのは結局は弱い側

徒然草』 もの狂おしくない新訳


 わたしに言わせれば、自分とは考え方の違う人間を誰でも悪く言うこういう人間は、進歩や改善ということのない人である。わずかな利益を得るために嘘をつくことを止められないこういう人間は、他人の徳を学ぶことが不可能な人である。

 狂人の真似をして大通りを走れば、すなわち狂人である。悪人の真似をして人を殺せば、すなわち悪人である。逆に、駿馬(しゅんめ)を真似る馬は駿馬の一員となり、中国の聖王舜(しゅん)を真似る人は舜の仲間となる。上辺を偽っても人の徳を真似る人は、人徳者というべきなのである。(第85段)
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/turezuregusa.html#85dan


※以下非ネット環境の話が主です。


これを読んで思ったのが、悪口と捉えられる事が十分予期できる批判を撒き散らす人物は
例えその人本来の思惑や性質に相反するとしても、
悪口や中傷を撒き散らす様な人物だと思われるし
実際そうなってしまっている場合が多々あるなと。


非難に対して筋の通った反論をしたとしても
相手さんは逆上し感情論で納得しない。
最初は建設的な批判をしていた筈が、
いつの間にか質の悪い我を通すだけの悪人になってしまっている。


もし本当に相手を良くしよう、相手の為を思って、という意志があるのならば
相手の反論を十分受け入れる懐の深さ寛容さと
相手の自発的な理解を促す為の逃げ道を用意しないと意志は達成されないし
コミュニケーションにならない。
それが準備されていなければ結局は何も考えずに悪口をわめき散らす人物そのものである。


(匿名だと相手との持続的な関係性がほぼ無いので
後先考えなくて純粋な議論が出来て本当に楽。)