『身体が「ノー」と言うとき』の感想

特にノーと言いたいわけでもないけど、
3年前くらいに何かで高評価で、その時ウィッシュリストにいれたまま放置していたので
図書館にいったついでに読書した。


身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価
http://www.amazon.co.jp/dp/4531081471


主にがん患者向けの内容が多い。
心理学的にも医学的にもはてなな部分はあったので、
本当に失礼なことを言わせて貰えば、前半は退屈だった。
でも最後半から始まる認容プロセスは面白かった。
あと、「怒り」に関するくだりも面白い。
特に学説を根拠にしたなにかというわけでもなさそうだけど。
著者によると、普段よく目にする泣いたり叫んだり叩いたりする
「怒り」は「怒り」ではない、という。
では一体なんなのか。
本物の怒りとはどういったものなのか、という記述を読むと
確かに外見上判別可能な怒りというのは
単に、「「怒り」を爆発させた」、という行為に過ぎないという意見も妥当なように思える。
この話が腑に落ちると、自然と怒りと怒りの爆発の峻別がつきやすく、
爆発させるかさせないかという自由が得られる。
一般的には歯を食いしばり我慢しろとか怒りを堪えろ、などと言われるが
自分自身の(著者のいう本当の)怒りをある程度正確に把握できるなら
それは単に牛丼を選ぶかカツ丼を選ぶか程度のもので、
自分が怒りというものに対してどれくらい無頓着だったのかがよく分かる。
コントロールできない、ということに人は結構不満を感じる。
だから怒ったり叫んだりするわけだが、
本当に事態を制御下におきたいのであれば
ある程度年齢を重ねた場合たいていの場合は怒る以外の方法をとった方が良い場合が多く、
そうした選択が特に苦もなく後悔もなくできるのであれば大きな利益であるようにも思う。