とりあえず決着したらしい勝間氏vsひろゆき氏

勝間和代公式ブログ: 私的なことがらを記録しよう!!: ひろゆきさんとの対談について、心から非礼をおわび申し上げます
きちんとこういう終わらせ方ができる元々の頭の良い人なのだから
むしろひろゆきのあの低姿勢(本心はともかく)を見習って
常に冷静にじっくり考えるスタイルの方があってると思う。


話の内容自体には勝間氏側の需要はかなりあるように思える。
僕自身はかなり強い匿名推進派であり
幸福の考え方についてもひろゆき氏に完全に同調している。
それでも”社会政策”が必要な事は承知している。
個人の幸福がどのようなものであるか、と、
トラブルや苦しみを抱え生きる事に疲弊する人達をどうバックアップするか
というのは完全に両立する話だからだ。
個人の幸福はそれぞれ違うが個人の不幸は大体似たり寄ったりな場合が多い。
そりゃ金メダル取れなくて不幸な人もいれば
地区予選で落っこちて不幸な人もいるじゃないかってのはその通りだけど
自己実現”よりも下の段階でのセーフティーネットは有効に機能すると思う。


ひろゆきの言うことは間違い無く正常な状態の個人の感情としては正しいが
勝間氏の言うような”社会的弱者”
例えば
「謂われ無き中傷によって傷つけられた人」
ブラック企業に使い捨てられる人」
「給料も下がるしそもそも職もなく、老人は増え負担は増大し疲弊する若者」
は存在する。
自分や家族がそうなる可能性は大きいと思う。
それを”匿名”が救うのか”IP開示”が救うのか
”企業のしやすさ”が救うのか”正社員へのなりやすさ”や”最低時給のUP”が救うのか。
不幸が不幸を呼び血を吐き体が震え内臓を壊し死ぬこと以外何も考えられなくなってしまった人間に
「水が飲めご飯が食べれて安全だから幸せを感じて下さい」
とは言えないしそれが有効に機能するのなら年間3万人も自殺しない。
だからこそどうする事が良いのかを議論する必要性が生まれるのだと思う。
もちろん水が無くご飯が無く安全で無い人とどちらが不幸なのかとう話題はあるのだが
社会的な生き物として他者と関わっていく以上
その社会でどのように生きるかどの役割を担うかはご飯のグレードとは別問題に思える。


それにしても匿名に関しては”匿名”自体が
社会的弱者の発信源というか、セーフティーネットであり
情報を入手し攻勢に転じるきっかけになる部分が多々あるのだから
顕名にしたい人はすればいいし匿名にしたい人はすれば良いってのはまったくひろゆきの言うとおりだと思う。
顕名自体そもそも社会的な強者あるいは強者になりたい人にしかメリットが無い。
顕名にすれば中傷や犯罪が減るかどうかなんてmixigree見てれば分かりそうなもんだ。


またネット規制の側面からも

慶應義塾大学の金正勲氏(デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構准教)は、「未来における問題は、政府はあまり考えないほうがいい」とコメント。米国がインターネット政策で一貫してとってきた「非規制」や「規制を我慢する」というスタンスを示し、性急な規制を行わず、その中でイノベーションを促すことが重要とした。「新しいツールが生み出す可能性、特に副作用に焦点をあてて今から綿密に議論し、政策的な対応を行うと、意図しなかったイノベーションを阻害される可能性がある。実際にネガティブな側面が表面化したときに政策を立てるほうが、全体的なバランスはいいのではないか」と訴えた。

青少年ネット規制法では「iPhone想定してなかった」と総務省の人
その通りだと思う。