ランディ・パウシュ "最後の授業"

25歳になる自分が改めて「最後の授業」から学んだこと3つ / 84ism/ハチヨンイズム/育ち続ける等身大ウェブマガジン


何かを覚えさせるには別のことをさせるべし
"head fake"

The best way to teach somebody something is to have them think they’re learning something else. Randy #Pausch http://bit.ly/axioms4life

http://twitter.com/teach_jim/status/4824352505

Most of what we learn we learn indirectly (or by "headfake").

http://bit.ly/axioms4life


エリクソン思い出した。
発達段階の方じゃない方の。
彼も某分野においては直接から間接への華麗な転換行った人物だった(とされている)ので。
(無論明文化される前から手法自体は存在はしていたんだろうと思うという意味で)


ただこの便利な間接的な方法ですら受け手と使い手と環境によっては全く使い物にならない。
どんな方法でもそうなんだろうけど、head fake(とランディが呼んでいるので使うが)
は特に指示者にある程度の常識が求められる。
企業での忍耐力を養わせるために研修と称してキャンプ場に穴を掘っては埋め掘っては埋めをひたすらやらせる
会社があるらしいが、それでは軍隊ではないかって、あっ軍隊が欲しいのかその会社は。


話を元に戻すと、間接的な指示というのは人を成長させる場面においてとても効果的だということ。
特に人格や考え方の元になるような価値観なんてのは自発的に選択した物しか受け取らない。
ランディの動画を見たとしても彼の直接的な言葉よりもやはり仕草であったり物の感じ方(を受け取った視聴者の感じ方)であったり
はたまた人生観であったりするものに心を強く動かされる。


人は心のどこかで変わりたいと思っているし変わりたくないと思っている。
自分の主張をねちねちとこうしてブログに書いているのは自説の正しさを心の底で確信していると共に
変わりたくない上にさらに広めたい欲求があるからだ。
一方で人生を変えるような小説や映像や音楽や人に出会いたいとも思っている。
自分が正しいなら本来なら変化することは脅威である筈だ。
なんとも面倒くさい構造であるが、結局色んな人や物を見ているとなんだかんだ言っても
人間の本質は「変わること」の方に重きがあるんじゃないかと思う。
環境に適応していく元々持っている生物としての機能というか、
寄る年波には勝てないというか。
環境に合わせて変化した方が生き残れるというのは極々自然な事だ。