説得の形にも色々あって。

ビジネスの説得や映画なんかに良く出てくる交渉人とか
結構興味のある人は多いけれど、
説得でもって家族や近しい人達の行動修正を迫られる場合が人生には多々ある。
特に深い関係がある場合、信頼関係自体は強いが
逆に強いから相手も容赦がない場合もある。


マンガで分かる心療内科・精神科 第七回「妄想の人に、どう接するべき?」 | = ゆうメンタルクリニック 上野駅0分 東京・心療内科・カウンセリング・精神科
マンガで分かる心療内科・精神科・カウンセリング 第十二回「ネコは緑色だから卑弥呼だ」 | = ゆうメンタルクリニック 上野駅0分 東京・心療内科・カウンセリング・精神科

大切なのは、真実かどうか、
何が正しいかどうかに
目を向けすぎてしまわないこと。
人とのやりとりは、探偵小説じゃないんです。
二人が楽しく安らぐなら、
それでいいんですよ。


どうしても疑心暗鬼や妄想に捕らわれている相手に対して
論理的な正しさや常識的な判断を根拠に
「どうして分からないの?」とか
「それはおかしいよ」とか
「普通に考えられないのは病気な証拠だ」とか
言ってしまう。
なぜならば、妄想を抱かれるのが嫌だし、困るし、本音を言ってしまえば気持ち悪いからだ。


強く正論を主張して、
相手が黙れば、酷い言い方だけども「してやった感」があるし
納得すれば(結果的に表面的なんだが)「とりあえずその場は安心」できる。
「こういう風に言うとおかしく見えるよ」と言ってその行動が無くなれば
今自分が感じている苦しみが単純に消滅する。
利己的なのは分かっている上に、長期的に見れば相手を消耗させるだけで
なんの解決にもなっていないのは明白だ。



という事も理解はしている。しているが、
何もアクションを起こさずに居たら
もっと酷くなるんじゃないか、という思いがある。
例えば薬を飲まない事に対して強く非難してしまうが、
相手にとっては自分自身を非難されている様に思えるだろうし
実際そういう反応が返ってくる。
だが一方で薬を飲まない事を肯定すれば、それは飲まない結果を招くだけだろうし
一体全体どうして良いのか分からない。
簡単な解決方法としては「もっと酷くなるんじゃないか」という思いを持たなければ
非難したり説得する必要もない。
そうやって緩やかに付き添って行く方が相手にとっても自分にとっても最終的には良い結果をもたらすのだろう。
要は単純に自分が子供なだけということか。


(追記:09/8/26)

でもこれを放置するとロクな人間にならない。間違ったら間違った時に、しっかりと叱るのは大人としての義務だ。 そう思って何度も同じ事を繰り返し伝えた。娘は返事をした。 本当に理解しているのか疑問だったので復唱もさせた。 だんだん立ちっぱなしで足が痛くなってきたのか、「理解しよう」とするより「私が気に入るような答えを探す」ようになってる気がした。

http://anond.hatelabo.jp/20090824134902

あーこれだ。俺も良くやる。
自分が納得する返事を得ることで、自分の目の前の苦痛を取り合えず取り除こうとする。
相手が分かってるか、相手の問題をきちんと解決できているか
相手の為に自分の考え方で良いのか、
そんなの関係ない。
兎にも角にも目の前の異なる物をなんとしても自分の思い通りにしなければ”ならない”
という強迫観念みたいなものに迫られる。
まさにこの瞬間、”教えている側”だった筈の人間は、単に己の欲望の為だけに行動する畜生と同じレベルになってしまっている。
しかし一方で人間の精神力も摩耗するのも当然だ。
どんなに明朗活発な人間でも2日も寝てなければ思考力が落ちるように
家族や親類の問題は1年2年超えの長期戦なので
その間に鰹節が薄く削られるように徐々に徐々に判断力が低下してくる。
日々のストレスが増えすり鉢の底でぐるぐる回り始めると
内面から沸き上がる思考を処理する余裕が無くなり
”取り合えず”今目の前にある問題を無くす作業が最優先になる。
これはもう人として仕方のない事だと割り切るしかない気がする。