NHKスペシャル「ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる」を見た

長文感想。勢いできもいです。
ヤノマミ、それは人間という意味らしい。
ほぼ裸で暮らしドーナツ型の長屋の様な家に百人あまりが住む。
取材陣はナプと呼ばれる。人間以外のもの、という意味らしい。
シャーマンは幻覚を見せる草を吸い、病を治す。
先進国による医療は過度に干渉はしない。
彼らは「保護」されている。
最も尊敬されているシャーマンが語る。
ヤノマミは死に天に昇り精霊となる。
そして精霊もまた死に、男は蠅や蟻となり女は蚤や壁蝨になり、そして最後は消える。
誰しもがその定めを生きる。
森と天と共に生きる。
だが先進国の考える様な共存ではない。
お互いが支え合うのではない。
ただそこにあるものとして、当然の搾取。
食べる。
殺す。
イノシシを、バクを、鳥を、猿を、ワニを、アルマジロを殺す。
妊娠して動きの遅い雌を殺し、親を喰らい、
胎児を取り出し彼らの倫理観で捌く。
彼らは胎児を食べず森へ返す。
ある猿は首をもぎとられ家につるされる。
イノシシの胎児は子供の遊び道具になり
ハンモックで遊ぶ子供は猿の頭部を旨そうにしゃぶる。
またある猿は少女に育てられる。
唾液を与え匂いを覚えさせ、ふれあい慈しむ。
時に殺し時に活かす、彼らは王である。
ヤノマミとして森に食らいつき森に抱かれる。
子供を産む時も森へ必ず行く。
無造作に放り出された胎盤はアリに食わせる。
地面に直接生み落とされた子供は、しかし、実はまだ子供ではない。
人間でもなく、精霊なのだ。
そのまま精霊として天に返すか、子供として育てるか、すべては産んだ母親が一人で決める。
ヤノマミはその決定を全てただ受け入れる。
子猿に愛を与えていた14,5歳の少女は自分の子供を精霊にした。
精霊となる事を決められた子供は、シロアリの巣に入れられ、アリに食わせる。
そして食ったシロアリごと焼く。これが彼らの天に返すということである。
年齢は関係ない。14歳の少女が一人で決める。
彼らの子供の内、半数は精霊となる。
母親は夜空を見上げ泣く。
悲しそうに見える、だが、それは彼らの価値観では全く別の意味を持つのかもしれない。


こうした番組を見て、単純な言葉で言えばカルチャーショックを受けた。
しかし言葉に表すとこれほどつまらないものはない。
人生ではウィトゲンシュタイン以外の方がより重要なのだ。


頭では理解していたし、wikiでも予習していたが、精神をえぐり取られた。
気分が悪くなり頭が痛くなり、色んな価値観が壊れた。
自分がこんな軟弱な人間だとは思わなかった。
グロ体制もあるし、ホラー映画も嫌いじゃない。
彼らはヤノマミであり、自分はナプでしかなく、
「何が幸せか」「なぜ生きるか」という問いよりもっと深い生き物としての何かが自分を襲ってきたのだ。




勝ち組、負け組、政治、哲学、心理、歴史、工学、数学、幸福、出世、株、債権、年金、会社、時計、効率。



人間の思考は言葉に定義されるなんてのは、
あんな事は妄言だ。まやかしだ。ごまかしだ。
一々説明を求める、それは感じる感覚を失ったなれの果てだ。
感覚と感情と気持ち悪さと気持ち良さが渦巻くのだ。


そしてそれもまた一面的だ。
見聞きして分かったつもりになった大うつけだ。


その反対の経験すら一面的でしかない。
生きているということは、分からないということだ。
分からないということは、命を受け入れることだ。
受け入れず知ろうとするナプは、生きながらにして死に、死にながらにして生き、
生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し。


森で生まれ
森を食べ
森に食べられる


森で生まれ
森を食べ
森に食べられる


彼らは、ただ、それだけの存在として、森の中に、あった。


ヤノマミ。
それは人間という意味だ。


NHKスペシャル|ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる